こんにちは。ブログ研究家のスミダです。
ブログについて勉強すればするほど、「読者の役に立つ記事を書け」とか「ターゲットを明確にして、悩みを解決する記事を書け」みたいなアドバイスをよく目にするかと思う。もちろん僕もそんなアドバイスをしてきた一人である。アホかと。この「アホか」は、世の先輩方々への暴言ではなく、根拠もないアドバイスを偉そうに言ってきた自分へのツッコミだ。
誰かの役に立つ記事を書こうとして、上手くいったためしがありますか?他人のことばかり考えて書いたブログで稼いだ飯は美味いですか?それは美味いか、すみません。
たしかに読者の役に立つ記事を書こうとする精神は素晴らしいし、忘れないでほしいとは思う。ただ、ブログ業界で多い「読者の役に立つことが何より大事だ!」みたいな主張に違和感を覚えるのだ。もっと大事なことは他にあって、そのうえで読者の役に立つというのが理想であるはずだ。
今日はブログを書くうえでの、僕なりの考えをお伝えしていこうと思う。中学生でもわかるように簡単に書いたつもりだが、もし難しいと感じることがあれば、10回ぐらい読んでPVに貢献したあと、SNSで拡散して仲間に教えを乞うと理解が深まるだろう。大事なのは、しっかりと拡散することだ。
なにが役に立つかなんて誰にもわからない
そもそも、読者の役に立つ記事、役に立たない記事の違いは何かわかりますか?わからないですよね?なぜわからないかと言うと、どんな記事でも、誰かの役に立つ可能性はあるからだ。
こういうとき、ラーメンの話が例に出されることが多い。
「ラーメン美味しかった」なんて記事を書いても、誰の役にも立たないだろ?だからもっとちゃんと役に立つ記事を書かないとダメだよ!
みたいなアドバイスだ。
いやよく考えてほしい。ラーメン美味かったという記事、内容によっては役に立ちますよね?変なアドバイスに騙されてはいけない。「ラーメン美味かった」の記事が役に立たないのではなく、内容に何かしらの問題があるから役に立たないのである。ラーメンには何の罪もない。あぁ、ラーメン食べたい。
考えすぎて書けなくなる
さきほども言った通り、どんな記事が読者の役に立つかなんて、誰にもわからない。つまり、考えてもわからないのだ。今日家で作ったチャーハンが美味しかったという、それだけ聞けばクソみたいなテーマでも、内容によっては誰かの役に立つこともある。ここまで食べ物の例しか出てこないのは僕のお腹が空いているからで、君たちが気にするところではない。
僕たちは、考えてもわからないことを考えろ考えろと、先輩方からアドバイスをされていたのだ。するとどうなるか、見出しの通りであるが、書けなくなるというブロガーにとって致命的な病気が発症する。読者の役に立つ記事は何だろう?と考えて考えて、考えぬいたすえに頭が真っ白になるのである。この症状が発症すると、突然叫び出したり、裸で家中をうろつき始めたりすることがあるようなないような。
とにかく、読者のためになる記事なんて、考えるだけ毒になるということだ。
ひとつ言い訳というか保身のために言わせてもらうと、ブログを書くうえでまずキーワードを選定し、ユーザーニーズを満たす記事を書き、みたいな基本的な話は当然知っている。僕もこれまで何年もブログで食べてきたのだ。わかったうえで「読者の役に立つ記事なんて書こうとするな」と言ってるのである。
役に立つ記事を書けと言われる理由
なぜ、口にするのも恐れ多い先輩ブロガーたちは、「読者のためになる記事を書け」なんてアドバイスをするのだろうか。ひとつは、googleが提唱するSEOの考え方が原因になっている。それこそが「ユーザーファースト」であり、googleの企業理念にもなっていることだ。
ユーザーファーストとは何かというと、googleいわく「ユーザーに焦点を絞れば、他のものはみな後からついてくる。」とのこと。ユーザー=読者が満足するかどうかが最優先で考えられるべき、ということだ。
簡単に言うと、読者の役に立つ記事を書いた人が、検索結果で上位表示されるというシステムになっている。
ただ、その役に立つというのも、内容だけではなく、表示スピードであったり、わかりやすいUIだったり、それこそ著者の実績だったり、言い出すとキリがない程めちゃくちゃ奥が深い世界なのであるが。
つまり何が言いたいかと言うと、googleのこのシステムについて先輩ブロガーたちはこう考えたわけだ。
読者の役に立つ記事を書けば上位表示される!じゃあ、読者の役に立つ記事を書こう!と。
これだけ見れば単純明快、何も間違いはなさそうである。
が、さっき述べた通り、どんな記事でも読者の役に立つ可能性はあるわけで、役に立つ記事を書こうとしても、考えすぎて書けなくなるという沼にハマってしまうのだ。タイトルに戻るが、読者の役に立つ記事なんて、書こうとして書くものではないということが、今日一番お伝えしたかったことだ。
そういうと、あちらこちらから「でも実際、多くの有名ブロガーは役に立つ記事を書けと言ってるじゃないか。それで、実際読まれてるじゃないか。だから僕も役に立つ記事を書きたいんだよ。」という声が聞こえて来る。アホかと。
あの人たちは役に立つ記事を書いたから誰かの役に立ったのではなく、記事の質が高いから誰かの役に立ったのだ。
じゃあ、何を誰のために書けばいいのか
なんて声が聞こえて来るが、それを考えるのがブロガーの仕事であり、一番楽しい部分ではないか。少なくとも僕はそう考える。
ひとつ言えるのは、
- 自分が書きたいこと
- 自分が書いて楽しいこと
- 自分が読みたいこと
- 自分があとで見返せるようにまとめておきたいこと
などを書けば、少なくとも自分の役には立つということだ。ひとつと言いながら、4つも言ってしまった僕は優しい。
そのうえで、自分にしかわからない暗号ではなく、他人が読んでも理解できるようにしておけば、同じような境遇の誰かの役に立つのではないだろうか。
この記事も、特に誰かのために書こうとしたわけではない。自分が書きたいことを好きなように書いているだけだ。それで今読んでくださってる方のお役に立つことができたなら、それほど素晴らしいことはないと思っている。
読者のためになる記事とは
読者の役に立つ記事を書こうとしなくてもいいとは言ったが、読者の役に立つ記事とはどのような記事なのか、知っておいて損はないだろう。
最初の「ラーメン美味かった」の例を挙げたところで述べたように、読者の役に立つかどうかは、書き方や内容によるところが大きい。
僕が意識しているのは、次の2つ
1.読みやすい
読者は別のサイトやSNS、もしくは検索画面からやってきて、無数ある記事の中から僕らのブログにたどり着く。1億あった精子の、ほんの数個だけが卵子にたどり着く、そんなイメージだ。
そこで「読むかどうか」という最大の関門が待ち受ける。
どれだけ良いコンテンツであっても、日本語がしっちゃかめっちゃかで、話の流れもあっちへ行ったりこっちへ行ったりな文章では、誰も読みたがらない。まぁ、印刷してやれば子供の塗り絵ぐらいにはなるかもしれない。
役に立つ内容であっても、読まれなければ役に立つことはできないのだ。美味しいラーメンも、食べてもらえなければ生ゴミと同じ。
2.オリジナルな切り口であること
画像が豊富でわかりやすいとか、書いている人が権威のある人だとか、内容以外の部分で差をつけることはできるが、それより誰も書いていないオリジナルな切り口で読者の悩みに応えることのほうが重要だ。
美味しいラーメンを食べたい人に、おすすめのラーメン店を紹介するのか、美味しいラーメンの食べ方を紹介するのか、美味しいラーメン屋の見極め方を教えるのか、最近オープンしたお店に絞って紹介するのか、お取り寄せで買える美味しいラーメンを紹介するのか、珍獣ラメーンを紹介するのか、切り口は無数にある。まぁひとつのテーマに100個はあるだろう。いや10個ぐらいか。まぁ、2~3個はある。
ネットの世界は、ちょっとした制限はあるものの、基本的には自由だ。何を言ってもいい。おっぱい。
もちろん「バナナを食べると身長20cm伸びる!」みたいな嘘はいけない。根拠のある内容や、根拠がなくても自分の経験に基づいて正しいと思うことであれば良いのではないかと僕は考えている。極論、正しいかどうかを判断するのは読者なのだ。気楽に書いて、楽しもうではないか。
楽しく書けば、読者も楽しい
自分が書いていて楽しくないものは、読者も楽しくないだろう。
自分に必要がない記事は、読者にとっても必要がないだろう。
読者のためになる記事を書こうとするのは素晴らしいが、まずは自分が楽しいとか、自分の役に立つとかで考えてみても良いのではないだろうか。